19世紀に始まったファッションショー、コロナショックで変貌

モスキーノのファンションドールによるファッションショー

 観客のいないファッションショー

ファッションショーがはじまったのは19世紀の半ばです。これまで150年以上続いてきた形式が、コロナショックで変貌しました。

ショーは顧客に見せるためのものなのに、観客はいません。

ネットの画面を通して向かい合う形態になったので、従来の枠が取り払われ、表現手法が、「映像」に重点を置くようになって、新しいあり方がいくつも生まれはじめています。

変化した最近のコレクションのなかで、特に刺激されたヴァレンティノ、ディオールを、そして最後に操り人形で表現して見せたモスキーノをご紹介したいと思います。

 ディオール

映画仕立てにした最高の映像美 2021年 春夏オートクチュール
幻想の錯綜 2020~2021年 秋冬オートクチュール

ディオールのクリエイティブディレクターはマリア・グラツィア・キウリ(2016~)です。アイディアの造詣が深く、毎回インスピレーションを受けています。

 ヴァレンティノ

極上の耽美 2020~2021年 秋冬オートクチュール
2021年 アクト・コレクション

ヴァレンティノのクリエイティブディレクターはピエルパオロ・ピッチョーリ(2008~)です。写真も撮ります。カール・ラガー・フィールドのように今後、ブランドの写真も手がけるのでしょうか?

ピエルパオロ・ピッチョーリとマリア・グラツィア・キウリは、フェンディで10年共に仕事をした後、二人はヴァレンティノの共同クリエイティブディレクターに就任しました。その後、2016年にキウリは辞任して、ディオールのクリエイティブディレクターを務めることになりました。

 ファッションショーのサイクルと種類

コレクションは半年に一度、春夏と秋冬で行われますが、メゾンはオートクチュール(高級注文服)とプレタポルテ(高級既製服)の2パターンを発表します。それ以外に、クルーズ・コレクション、プレフォール・コレクションがあります。

クルーズコレクションというのは、 富裕層が寒さを避け、船に乗って暖かい島などに行くときに、船内や島で着る服を発表するための小規模なショーです。

プレ・フォールは、晩夏・初秋の時期に向けたアイテムを発表する場で、こちらも小規模でプレスや顧客のためのものです。

 ファッションショーを創始したウォルト

ブランドが服を発表して顧客に提案するファッションショーというパフォーミングを創始したのは、ファッションデザイナーのシャルル・フレデリック・ウォルトです。

現代に直結するファッションを生んだシャルウr・フレデリック・ウォルト
現代に直結するファッションの生みの親 イギリス人のシャルル・フレデリック・ウォルト

 オートクチュール

シャルル・フレデリック・ウォルトのイヴニングドレス
ウォルトのデザインによるイブニングドレス

「オートクチュール」とは当初は、19世紀半ばにパリで制作されたシャルル・フレデリック・ウォルト(英語読み:チャールズ・フレデリック・ワース)の作品を指すものでした。

最初から最後まで手作業で作られる高品質で高価な贅沢なファッションです。個々のクライアントの体型に合わせて特別に調整して作られます。

マリーアントワネットのドレス(デザイン:ローズ・ベルタン)
マリー・アントワネットのドレス デザイン:ローズ・ベルタン

それ以前では、マリー・アントワネットの帽子と服のデザイナーで、40年に渡り宮廷ファッションを索引したローズ・ベルタンを参照することができます。

当時の洋裁師たちはパリまで来てコピーされた衣類を持ち帰り、それを地元で複製して客を募りました。その後、蒸気船と鉄道が旅行を容易にするにつれ、裕福な女性は衣類やアクセサリーを買うためにパリを訪れるようになります。雑誌社も記者をパリに送り込み、情報をいち早く掴もうと必死でした。

シャルル・フレデリック・ウォルトの服を着たエリザベートとナポレオン3世の皇后
ウォルトの服:オーストリア=ハンガリー帝国皇后エリザベート / ナポレオン3世の皇后ウジェニー

ナポレオン3世の皇后ウジェニーが顧客だったことで名声を博したシャルル・フレデリック・ウォルトですが、彼がオートクチュールの父と呼ばれるのは新しい試みをいくつも創始したからです。

彼は顧客のもとに足を運ぶかわりに、クライアントの方がクチュール(ファッションハウス)へ出向いてくるようにしました。それまでの時代とは違い、顧客は彼の店を訪れて試着・仮縫いや商談をするのです。そのために彼の店は社交場でもありました。

ハウス・オブ・ウォルト
ハウス・オブ・ウォルト

そして顧客を喜ばせるためにオリジナルのデザインを作成します。作品はポートフォリオとして準備されました。クライアントはそこからひとつの型を選択して色と生地を指定します。オーダーメイドですが、複製するシステムを導入したのです。

また彼は初めて生きた人間をモデルに、作品を顧客に披露しました。販売した服に自分のブランドのラベルを縫い付けた最初のデザイナーでもあります。

 オートクチュール組合(シャンブル・サンディカル)

彼は20世紀初頭、パリに乱立している高級仕立て店をオートクチュール組合として組織化しました。加盟店はメゾンと称するように決めました。

そしてデザイナーが顧客の希望を聞きながら行う服作りから、デザイナーがデザインしたものを顧客の体に合わせて仕立てて売るという「デザイナー主導」に切り替えて発展させていきました。こうした試みにより顧客は、「デザインを買う」=「芸術作品を買う」ということになったのです。こうしてデザイナーの社会的地位は大いに高まっていきました。

そして1年に2度のコレクション開催、コレクション数、スタッフや専属マネキンの人数、アトリエの維持などクリアしなければならない規定も定めました。これが21世紀の今も引き継がれているのです。

オートクチュールのアトリエには、顧客の名前の記されたリアルサイズのトルソー(マネキン)が置いてありますが、1970年代、プレタポルテの台頭により、メゾンはシャネルなどの一部以外は、ほとんどが赤字経営です。それでもオートクチュール部門を閉鎖しないのはブランドとして格が上がり、プレタポルテ、香水などの売り上げに大きな影響を与えるからです。資本主義のもとでファッションはマネーと同義語になりました。

ヴァレンティノ 男性用パヒューム モデル ルイ・ガレル
ヴァレンティノ 女性用パヒューム
ニナ・リッチ パヒューム モデル フリーダ・グスタフソン

オートクチュールを創出したシャルル・フレデリック・ウォルトは、キャリアの末期には1200人を雇用していました。ファッション界に及ぼす影響力は絶大なものとなっていたのです。帝政が崩壊してもブルジョワジーを顧客に、デザイナーとして服装の流行を主導する立場を確立していました。この流れは後の世代のポール・ポワレ、ココ・シャネル、クリスチャン・ディオールに継承されています。

ポール・ポワレとマドレーヌ・ヴィオネの服
ポール・ポワレ / マドレーヌ・ヴィオネ

コルセットを取り除くなど、ポール・ポワレはマドレーヌ・ヴィオネと共にファッションを近代化したパイオニアです。

帽子職人から身を起こしたローズ・ベルタンを彷彿させるシャネル

 モスキーノ

かつてゴミ袋でボールガウン(イブニングドレス)を作った不遜なデザイナー、フランコ・モスキーノは1994年に44歳でガンで亡くなりました。生前、モスキーノが語ったところによれば、「コレクションのタームはブランドを疲弊させているが、そのシステムに自分も組み込まれている」と、商業主義化を進み続けるファッション業界に波紋を投じる発言を遺しています。

現在、クリエイティブディレクターはジェレミー・スコットが引き継いでいます。スコットが創造した2021年春夏コレクションは人形をモデルにしたファッションショーでした。

「喜びをもたらすことのできるファッションの力」。それが、スコットが今回の創作で達成したかったことです。

マリオネットによるファッションショー
メイキング映像 (1:17~7:15)

 テアトル・デ・ラ・モード

スコットがメイキング映像の中で語っている「テアトル・デ・ラ・モード」。それが、今回の創作にあたってのインスピレーションの源でした。

ファッションは経済的に重要なだけではありません。フランスにおいては国民文化としてアイデンティティの重要な一部を担うものでもあります。

「テアトル・デ・ラ・モード」は、第二次世界大戦直後の1945年にルーヴル美術館を皮切りに欧米圏を巡回したインスタレーションです。

物資がない中で、メゾンは復興を目指して協力し合いました。ミニチュア劇場の発想は、ニナ・リッチの子息ロベール・リッチでした。

メリーヒル美術館(常設)
Fantasy Of Fashion (1945) 戦争直後に開催された当時の貴重な映像
フェニックス美術館で催された際のキュレーターの解説
芸術がつくられる

 ファッション・ドール

最後に、わたしたち女性に「ファッション・ドールがもたらす喜び」というものが生まれついた本性に由来していることを付け加えて終わりたいと思います。

あなたが女性なら、人形遊びをしましたか?

男性にも人形への愛は存在します。デカルトはいつもカバンに人形を忍ばせていました。5歳で亡くした娘に見立てていたのです。

わたしは生まれてから一番最初にどうしても欲しくて欲しくてならなかったもの、それは人形でした。3歳のとき、とうとう希望が叶えられました。祖母が贈ってくれました。あのときの嬉しさを覚えています。その人形は、わたしの机の真後ろにある本棚のひと枠に座っています。夏と冬に着替える服は、わたしが縫いました。祖母は羽織と着物も、ニットのワンピースも編んでくれました。

王妃のパンドラ人形
パンドラ人形 ベルタン作 / 人形を抱くアラベラ・スチュワート / スコットランド女王の人形

17世紀にはパンドラ人形と名付けられたファッション・ドールが、パリの最新ドレスに身を包んで世界に送られていました。最新の流行を中継するために使用されるマネキンだったのです。ファッション誌が一般的になるまで続きました。

マリー・アントワネットも母親であるオーストリア皇后マリア・テレジアに贈り物として、お抱え洋裁師ローズ・ベルタンに最新のファッションで人形をドレスアップするよう依頼しています。

パンドラ人形の名はどこから来たかというと、国境を越えて運ばれた人形の「箱」、それを開けるという行為が、好奇心から箱を開けたら諸悪が世界に広がったというギリシア神話になぞらえて付けられました。

パンドラ人形は18世紀初頭のスペイン継承戦争の最中も特別な手形が与えられて輸送され、それは南北戦争のころまで続いたそうです。

ファッションショーを歩くモデルもさながら人形のようです。

女性は装うことに生得的な喜びを隠すことができません。ならばわたしはモスキーノ創業者フランコ・モスキーノが提唱したように、チープシックを深めようと思います。

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