[錬金術] 『ファウスト』は錬金術の物語

ゲーテ『ファウスト』
『ファウスト』初版本:第一部(1808年)&第二部(1833年) / 27歳頃のゲーテの影絵

 プロローグ

ゲーテの『ファウスト』を書棚から取り出し、錬金術について書きはじめたら、その深さに収集がつかなくなり、とんでもないものに手をつけてしまったのだわ!と思ってはみたもののすでにあとの祭り、もう引き返せません。

これまで、錬金術をまったく誤解していたことに気づきました。

ギリシア化した古代エジプトのアレクサンドリアが発祥といわれる錬金術ですが、これには二つの目的がありました。一つはお馴染みの卑金属を貴金属に変える術でその探究。もう一つはそこから派生していったのですが、アラビア世界に伝わって以降のことになります。それは不老長寿の妙薬作りです。目的の違う二つの繋がり、関係性がどこにあるかは、後ほどお話しします。いずれにしても錬金術は、人間が欲して止まない究極の二大テーマへの挑戦でした。

そこでちょっと考えてみてください。感の鋭いあなたならすでに気付かれたはずです。まるで21世紀のまさに今、そしてこれから迎える近未来の構想とまるっきり同じではありませんか?!錬金術は、まったくもってタイムリーな話だったのです!それはどういうことなのか、ご説明いたします。

1971年8月15日のニクソン・ショックにより、アメリカ合衆国連邦政府は突然ドルと金の交換を停止し、ブレトン・ウッズ体制の終結が告げられました。それ以来、それまでは金と交換できた兌換紙幣は、不換紙幣(金貨や銀貨の本位貨幣と交換できない政府紙幣や銀行券)になってしまいました。これは有事を招いたときには無価値になり得る、ということを意味します。

この紙幣というものですが、普段、当たり前すぎて疑う気持ちなど、どこにもおきませんが、ちょっと視点を変えてみてみると、不思議なものでもあるのです。たとえば一万円札。これはおよそ一枚20円ほどの原価で、紙に印刷したとても便利な創作物です。印刷された紙なのですが、半官半民(政府と民間が共同出資する事業形態)の日銀が国民の了解のもと、それを一万円の値打ちをもったお金として流通させるのです。

また、銀行から借り入れをするとき、銀行は預金者の通帳にカチカチと数字を打ち込んで記入します。借金によってお金は生み出されるのです。これは信用創造というカラクリ、というと語弊が生じるかもしれませんが、仕組みで生み出されるお金です。

はたまた、日本の銀行も近い将来、デジタル通貨に移行します。法定通貨ではないバーチャルカレンシーすなわち暗号通貨なども含め、これらは錬金術と似てはいないでしょうか?無から有を生み出すという操作において。

次に錬金術の二つ目の効用効果、不老長寿ですが、日本は確実に健康長寿の国になりました。

厚生労働省が打ち出している「人生100年時代」を見据えた経済・社会システムを実現するために検討を行う、「人生100年時代構想会議」が2017年に設置されました。中間報告によると、ある海外の研究では2007年に日本で生まれた子供の半数は107歳より長く生き、日本は世界一の長寿社会になると推計されています。

高齢化率も人口の28%と、世界一です。必然的にエイジングだったり、若返りだったり、再生療法が日進月歩で発達するのも頷けます。それだけ多く、高齢者からの需要があるからです。

こうしたことも相俟(あいま)ってか、たぶん時代の必然なのでしょう、「ムーンショット計画」という構想には驚いています。夢のようなプランなのかもしれませんが、体験したことのない次元がこれから訪れることになりそうです。今のところまだ現実感が伴っていないので、内閣府のホームページの図解を見て、へぇと半信半疑にしか感じられません。この最初の目標としては2030年を目指すということですが、「一人に対し、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑な仕事や課題を実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築するもの」と記されています。

アバターとかロボットなどを駆使すると謳うこうした一連は、500年前の医者で錬金術師のパラケルススが、黙々とフラスコ内に人造人間ホムンクルス(小さい人)を作り出さんがために励んだ実験に比類しませんか?

わたしはこれまで、パラケルススは胡散臭く、なんだか怪しいやつだと勝手に思い込んで邪な目で見ていました。それなので、業績の偉大さに気づくことができませんでした。人造人間を試験官のなかに作り出そうとするなんて、なんと愚かな戯言に人生をかけたのだろうと、実態に見向きもせずに内心では鼻でせせら笑っていたのです。

ところがものを知らないというのは、恐ろしいことです。今回初めて少しばかりではありますが、というのも錬金術は奥が深すぎるので、今のわたしは初級レベルで、うまくお伝えできないのをお断りしなければなりませんが、民衆のために力を尽くした医者だったことが見えてきました。

映画『三文オペラ』(1931年)のG・W・パブスト監督によるドイツ映画『パラケルスス』(1943年)で、錬金術師に扮したヴェルナー・クラウスに言わせたラストのセリフが、化学医療の祖といわれるパラケルススの本質を如実に物語っているように思います。

国王からの招聘の伝令を携えて医療処を訪れた役人を戸口に送り出すと、外には大勢の貧しい患者が診察を待っていました。それを目の当たりにして、パラケルススは伝令者に言いました。「この者たちをわたしは愛している。この人たちはわたしのために涙を流してくれる。わたしが仕えるのは、王ではなくこの人たちだ」。

フランツ・クサーヴァー・シム版画『ファウスト(ファウストとホムンクルス)』
フランツ・クサーヴァー・シム画 『ファウスト』第二部・第二幕 嘗ての弟子が人造人間の創造に成功

錬金術というと詐欺まがいの騙し、と受け取られがちです。けれども今回、調べていくうちに、およそ古代ギリシアで生まれた火・水・空気・土の四大元素の概念から、古典化学を生み出していった錬金術師たちの学識、その叡智にわたしは圧倒されました。今の世に名を遺しているのは、正しく大きな志を持った研究者ばかりだということを認識しました。

彼らは存在していないまったく新たなテクノロジーを開発せんがために、命を削りました。そしてそれが確実に現在へとつながっているのです。けれども残念なことに、その辺りが日本ではすっぽり抜け落ちていて、意義あることが未だ伝わってきていません。ごく一部の知識人の教養にのみとどまっているようです。それはただわたしがものを知らないだけのことなのかもしれませんが、今回、錬金術を探索し、なんだか大きな付加価値を見つけた気がしています。

よきにつけ悪しきにつけ、文豪ゲーテの遺作となった不滅の名著『ファウスト』を下敷きにして、まずは錬金術とはどのようなものかその触りを、わたしと一緒に見てください。


目次


【次回】

  • 第二章 黄金の術はエジプトからアラビアへ
    1. 錬金術の別名「黒魔術」の原義
    2. アレクサンドリアに出現
    3. 古代シリア語への翻訳
    4. アラビアの黄金時代
      • 知恵の館
      • アリストテレスの四元素説
      • 主だった学者
        • 1 ジャービル・イブン・ハイヤーン(ゲーベル)
        • 2 キンディー
        • 3 ファーラービー
        • 4 アル・ラーズィー(ラーゼス)
        • 5 イブン・スィーナー(アビセンナ)
        • 6 ガザーリー

【次次回】

  • 第三章 西ヨーロッパへの流入 記憶術・結合術
    1. イントロダクション – 前回のふりかえりも踏まえ
    2. 最初のラテン語訳の錬金術書『モリエヌス』
    3. ルルス
      • プロフィール
      • ルルスの生涯を描いた12枚のミニアチュール
      • 学問の樹
      • 大いなる術(アルス・マグナ)
      • 結合術(アルス・コンビナトリア)

【次次次回】

  • 第四章 『ファウスト』の悪魔メフィストフェレスは誰!
  1. メフィストフェレスは誰なのか
  2. 朗報!利子のない銀行が存在する
  3. アインシュタインは20世紀最大の発明は「複利」と言った
  4. 通貨発行権をわれに与えよ
  5. 救世主と崇められた後、悪魔と罵られたジョン・ロー
  6. モネータ(ゴールドとマネー)神
  7. 児童作家ミヒャエル・エンデの作品に託されるメッセージ
  8. ケインズは「マルクスでなくシルビオ・ゲゼルに未来を託したい」と言った

 第一章 『ファウスト』の隠れた主題

ウジェーヌ・ドラクロワ版画『ファウスト』
ウジェーヌ・ドラクロワ連作 石版画『ファウスト』から

 1 錯覚と幻覚の『ファウスト』第一部 (要約)

『ファウスト』はゲーテが60年の歳月をかけて完成させた不滅の大著で、第二部に至っては大家は死の直前まで推敲を続け、完成の翌日に亡くなったといわれています。わたしは小説というジャンルは得意な方ではありませんが、これほど胸躍らせて一気読みした作品はありません。それはまるで錯覚なのか幻覚なのか、犯してはならない境界を目の当たりに出現させて惑わせる霊薬そのもの。ここでは第一部を、大まかではありますが、記すことからはじめたいと思います。

復活祭の夜に鐘の音に感動して自殺を思いとどまったファウスト博士の書斎に、悪魔メフィストフェレスは黒い犬に姿を変えて忍び込み、言葉巧みに語りかけ、広い世界のすべてを経験させようと持ちかけました。そのかわりに、「時よ止まれ、お前は美しい」とファウストが言った瞬間、魂はメフィストに奪われて死ななければならないという約束を交わされます。かくして黄昏の人生から遍歴へ新たな幕が開かれたのでした。

アリ・シェフェール画ファウスト/グレートヒェン
アリ・シェフェール画 ファウスト / グレートヒェン

ファウストは魔術の力を借り、若返りの秘薬で青年に変貌すると、純真な乙女グレートヒェンに一目惚れをして誘惑します。ファウストは逢瀬のために、母親に眠り薬を飲ますよう巧妙にグレートヒェンを言いくるめました。恋人に言われて仕方なくうなずいた娘は、恐る恐る薬を手に取ります。ですが分量を誤って母親を死なせてしまったのです。自由恋愛が堕落とされていた時代でした。二人の関係を知ったグレートヒェンの兄は憤って、ファウストに決闘を臨みます。しかしメフィストの加担で、またもや悲劇が起こり、ひとつの命が無駄に失われたのです。その上でさらにファウストは、誰より愛しいはずの人に酷い追い討ちをかけたのです。ファウストは身籠ったグレートヒェンに愛想をつかして捨ててしまいました。そしてヴァルプルギスの夜に酔いしれたのです。

ウジェーヌ・ドラクロワ版画『ファウスト』
ウジェーヌ・ドラクロワ石版画 糸を紡ぐ手を止めて虚脱するグレートヒェン / ヴァルプルギスの夜

グレートヒェンは、一人孤独のうちに子を生み、気が触れて、絶望のなかで我が子とともに彷徨った末、ちのみごを川に流してしまったのです。そして死刑囚として投獄されました。かつての恋人の苦しむ幻を見たファウストは、すでに愛に冷めながらも駆けつけます。けれどもグレートヒェンは悪魔と結託した助けを拒み、もし救い出すというのなら、お乳を欲しがるいたいけなあの子を、溺れ死んでゆくのを助けてくれるようすがるのでした。「すぐにつかまえて!浮き上がろうと、まだもがいているわ。助けてよ!助けて!」と猶予のない限界状態でグレートヒェンは嘆願しました。

ウジェーヌ・ドラクロワ『ファウスト/教会のグレートヒェン』
ウジェーヌ・ドラクロワ作『教会のグレートヒェン』

神の御心に身を委ね、グレートヒェンは死を選びました。「罪人として女は裁かれた」とメフィストの叫びが虚空をつんざくと、天上から「救われたのだ」と天の声が轟き大空に響き渡りました。ファウストはグレートヒェンを遺して、メフィストに引致されるがままに去って行きました。

 2 『ファウスト』は錬金術のドラマとユングは言う

第一部のハイライトを綴ってみましたが、細かな脇道にこそ妙味があるので、ぜひ本書をお手に取っていただければと思います。

大悪魔ルシファーに仕えるガイストで、光を嫌う者という名のメフィストフェレスとファウスト博士の契約を描いた『ファウスト』。その表には見えない隠れた本当の主題は「錬金術」です。このことに気付いた最初の一人はユングで、「ファウストは初めから終わりまで錬金術のドラマだ。」と見抜きました。そう言われてみるとすべてが腑に落ちて、謎めく物語の輪郭があぶり出され、その姿が現れてきます。

第二部では、ファウストはありもしない財貨を担保に兌換紙幣の発行を提案します。これはまさに今の実社会そのものです。通貨発行権を制した者が世界支配を手中におさめるのです。それは現代では、金の裏打ちを持たない無から作り出した数値のお金、信用創造に直結しています。

こうしたことから錬金術というと、悪魔的な危険な行為に思えるのですが、けれども一攫千金を狙う企みが生み出すいかがわしい行為と一概に片付けることはできません。

化学は錬金術のもと、古代ギリシアの四大元素(火・空気・水・土)説を受け継いだ8~9世紀のアラビア世界で発展し黄金期が築かれていきました。その始祖は近代化学に基礎を与えたジャービル・ブン・ハイヤーン(ラテン名 ゲーベル)でした。

ニュートン
アイザック・ニュートン(1642~1727)

ときを経た近代に至っては、アイザック・ニュートンは近代化学の父と評される一方で、最後の魔術師とも称されます。造幣局長でもあったニュートンは、生涯を錬金術に費やしました。20世紀に入って、遺髪を調べたところ、水銀が検出されて決定付けられました。

ここからわかることは、錬金術師が取り組んだ実験と研究は、物語ではない現実界においては、怪しい所為では決してなかったということです。それは当時の叡智の最高峰に位置するものだったのです。

次回に続く continue to next time

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