
ルイス・キャロル著『不思議の国のアリス(Alice’s Adventures in Wonderland)』の「不思議の国」の原題は、「ワンダーランド」です。「ワンダー」は「不思議」の意味もありますが、「驚異」です。
15~18世紀のヨーロッパでは珍品を集めた「驚異の部屋」「不思議の部屋」というものが、ルネサンス期フィレンツェの王侯貴族の間に始まりました。そして、学者や文人にも広がっていきました。これがのちに、博物館へと発展したのです。博物館の前身にあたるこの陳列室は、世界を科学的な理解に向けるのに大きな貢献を果たしました。


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例えば大英博物館は、アイルランド王国出身の医師で収集家のハンス・スローン卿が、自身のコレクションをイギリスに寄贈したのが基となって、1753年に設立されたのです。
「驚異の部屋」は、「ヴンダーカンマー」「クンストカンマー」「キャビネット・オブ・キュリオシティーズ」と呼ばれました。
コレクションには、動植物の標本、珊瑚、石英、巻貝、オウムガイ、ダチョウの卵、亀の甲羅、象牙細工、ミニチュア細工、異国の武具、天球儀、地球儀、機械人形、ホルマリン漬けの胎児、妖精のミイラ、髑髏、東洋の陶磁器、錬金術書、アンチンボルドをはじめとする奇想を描いた絵画などなど。多岐にわたる珍しいものを分野を隔てずに一所に集めるのが特徴でした。
わたしはヴンダーカンマーというと、イタリア人の美術史家、文学研究者のマリオ・プラーツ(1896年-1982年)の邸宅で今は美術館となっている好古趣味な部屋を思い出します。彼はルキノ・ヴィスコンティ監督『家族の肖像』の主人公の老教授のモデルとされています。




展示品は食器棚やホールの壁など至る所に配置されました。アリスが落ちていく地下トンネルにあったマーマレードも、食器棚に並んでいました。壁には木釘で絵が貼られていたことも思い出します。

エドウィン・ジョン・プリティ(1923) / リビコ・マラジャ(1953) / クリスチャン・バーミンガム(2019)
15世紀から18世紀の西洋諸国は、商業主義・資本主義の道を歩み始めていましたが、船や航海術が発達し、大探検時代(大航海時代)、大冒険時代が幕を開けました。
アメリカ内部の探検や、アフリカ内部の探検が行われ、南方大陸として存在が予言されていた大陸を目指して太平洋・オーストラリアの探検も行われました。
さらに時代が下ると探検家達は北極点・南極点を目指しました。この時代の特色は名誉や学問のために探検が行われたことにあります。
進化論で有名な博物学者チャールズ・ダーウィンは、1831年から1836年の間、イギリス海軍の測量船で探検船ビーグル号に乗って、ガラパゴス諸島などに航海をしました。生物標本を作る際に役立ったこの旅で、ダーウィンは『ビーグル号航海記』を書きましたが、『種の起源』を著すきっかけにもなりました。
大探検時代を経て世界の姿が明らかになりつつあった近代は、未だ知られていなかった各地に探検家達が赴くことになるのですが、ダーウィンは子供のころから博物学的趣味を好み、8歳のときには昆虫採集や植物・貝殻・鉱物の収集を行っていました。
こうした時代背景のもとで『不思議の国のアリス』は書かれたのです。また、17世紀から19世紀のイギリスの裕福な貴族の子弟は、学業が終了すると数ヶ月から一年以上にわたる大規模な外国旅行をしました。これをグランドツアーと言います。それまで続いていたヨーロッパの戦乱が落ち着きを見せ、宿や駅馬車など交通網が少しずつ整い始めたことから、私的な旅行が始まったのです。当時の先進国だったフランス、イタリアが主な目的地でした。ゲーテはドイツの文人ですが、彼にイタリア旅行が及ぼした影響は計り知れません。グランドツアーは、生きた知識を手に入れるための好機だったのです。
日本では冒険という言葉は特別に好まれることはありませんが、『不思議の国のアリス』の原題『Alice’s Adventures in Wonderland』で、これを直訳すれば、「驚異の国のアリスの冒険(旅行)」なのです。
さて、「ワンダーランド(不思議の国。驚異の国)」という語は、キャロルの発明ではありませんでした。たとえば、「他の旅人が恐怖を満身にさまよう所で / 見よ!ワンダーランドのブルースすっかりくつろいで」というのは、ピーター・ピンダー『完全書簡』(1812年)に見られます。また、「まさしく此処だ、幻想がその深秘なるワンダーランドもろともに分別のちいさい散文の領域に遊び入り、そこに組み込まれていくのは」とは、トマス・カーライルの『衣裳哲学』(1831年)。
人文的教養・知識を意味するラテン語の「スキエンティア(scientia)」から、17世紀に新しい実証的な知として自然科学サイエンス(science)という言葉が生まれました。そして18世紀、19世紀になるとサイエンスは個別の学問分野に専門分化していきました。
啓蒙時代を通過し産業が機械化を進める時代精神のなかで、数学者、論理学者、写真家でもあったルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンは、アリス・リデルのためにこの物語を本に仕立てたのです。

不思議の国のアリスの冒険は1865年に出版されました。3年前の7月4日、 ルイス・キャロルと友人のロビンソン・ダックワース牧師が、3人の若い女の子と一緒にボートでイシス川(テムズ川でオックスフォードの上流)を漕いだときに触発されました。この日は、「すべては金色の午後のこと ー 」の詩と小説で始まります。その詩は混乱かもしれません。というのも、その特定の日は涼しく、曇り、そして雨だったからです。

3人の少女は学者ヘンリー・リデルの娘で、ロリーナ・シャーロット(13歳)、アリス・プレザンス・リデル(10歳)、エディス・メアリー(8歳)。

旅はオックスフォードのフォリーブリッジで始まり、8 km離れたオックスフォードシャーのゴッドストウ村で終わりました。旅行中にドジソンは、冒険を探しに行くアリスという名前の退屈な少女をフィーチャーした物語を女の子に話しました。女の子たちはそれに魅了されて、アリス・リデルはドジソンにそれを書き留めるように頼んだのです。

そして1864年9月13日、手書きの挿絵を添え、 同年11月26日に「親愛なる子へのクリスマスプレゼントとして、夏の日の思い出に贈る」との献辞と共に、『地下の国のアリス』と題された肉筆本がアリスに贈られました。公刊に際し、仮題の『Alice Among the Fairies(妖精の国のアリス)』と『Alice’s Golden Hour(アリスの黄金の時間)』が却下された後、ついに『Alice’s Adventures in Wonderland(不思議の国のアリス)』が出版されました。挿絵はジョン・テニエルが手掛けました。

今回は、不思議な不思議な物語、永遠に愛され続ける物語、『不思議の国のアリス』のワンダーなアドベンチャーをすこし解剖してみました。

トップ画像:
17世紀 アンドレア・ドメニコ・レンプス画「珍品キャビネット」 貴石加工博物館蔵 フィレンツェ
参考文献:
『詳注アリス』完全決定版 マーティン・ガードナー 著/ルイス・キャロル 著 高山 宏 訳 亜紀書房
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロルとふたりのアリス 求龍堂グラフィックス