
☆第1問
アリスは生垣の下の大きなうさぎ穴にうさぎが飛び込んだのをみて、すぐに追って飛び込みました。
だって「どうする!どうする!ひどい遅刻だ!」と、着ているチョッキのポケットから時計を引っ張り出して眺めるうさぎなど見たことがなかったからで、好奇心に火がついてしまったのでした。

うさぎ穴は、しばらくはトンネルのように真っ直ぐ続いていたのですが、道は突然下向きになって、アリスは深い井戸のようなところを下に落ちていったのです。
井戸がとても深かったのか、アルスがとてもゆっくりと落ちていったのか?というのも落ちていきながら、まわりを見わたして、次にはどうなるのか不思議がる時間があったからです。まず下に目をやって、どんなところに行くのかしらと見ようと思ったのですが、暗くて何も見えません。
それから井戸の壁を見ますと、食器棚や本棚がぎっしり、あちこちに地図や絵が木釘で吊るされています。アリスは棚のひとつを通り過ぎながら壺をひとつ手にとりますが、貼ったラベルには「オレンジマーマレード」とあるのに、中は空っぽでとてもがっかりしました。でも壺を下に落とすまいとしたのは下にいる誰かを殺してはいけないと思ったからなので、通り過ぎる時、食器棚のひとつになんとかおさめたのです。
それでは出題!
このように、穴は初めはトンネルのような道で、そこからいきなり真下に向かってアリスは落ちていったのですが、ルイス・キャロルはどこからこのような発想を得たのでしょうか?
☆答え
当時、イギリスは新しいインフラとして、トンネル(地下道)とか橋が建造されていたのです。工事は長引いて、物珍しいトンネルや橋へ人々は詰めかけ、まるでピクニックにでも出かけるように、そこでお弁当を広げて食べたりしていたのだそうです。學魔・高山宏先生から伺いました。
ひゅん、ひゅん、ひゅうん。いつまでも落ち続けちゃうのかな。「もう何マイル落ちたのかしら。きっと地球の中心近くにちがいない。ううんと、すると4千マイルの地下、ってことか ー 」
「地球の真ん中を突き抜けて落ちてったら、どうなの!頭を下にして歩く人たちの中に着いちゃうなんて面白そうっ!対敵人、って言ったかな ー 」
『不思議の国のアリス』(1865年)の原型は、『地下の国のアリス』で、数学者ルイス・キャロルが1864年にアリス・リデル(のちにオックスフォード大学クライストチャーチの学寮長となるヘンリー・リデルの次女)に贈った手書きの本でした。キャロル自筆の原本は大英博物館に収蔵されています。


マーティン・ガードナー著『アリス詳注』によると、『不思議の国のアリス』の著者ルイス・キャロル(本名チャールズ・ドジソン)の生きた19世紀半ばには、地球の中心を通ってまっすぐ伸びるトンネルを進むとどうなるか、という議論が世間を騒がせていたのだそうです。
この地下世界の不思議から遡ること2世紀。ガリレオが、主著『プトレマイオスとコペルニクスとの二大世界体系についての対話』を刊行したのは、17世紀半ばの1632年のことでした。
内容は、天動説派、地動説派、良識派の三登場人物が4日間にわたって議論する形で展開されました。第1日は、アリストテレス流の天体論を批判、第2日は、地上諸現象の原因を検討、第3日は、望遠鏡で見た天界現象の説明、第4日は、潮汐(ちょうせき)現象の原因が探究され、これらが対話のやりとりで、地動説が天動説に勝ることが明らかにされます。

ガリレイは早くに地動説を認め、手製の望遠鏡による天体観測でそれを確信していました。それは1610年のことで、木星のまわりを回る「4つの衛星」(2018年7月現在では、木星の衛星は79個発見されている)を発見したのです。この発見は、ガリレオが信じていたコペルニクスの地動説の裏付けの一つとなり、全ての天体が地球の周りを回っているという当時のキリスト教の世界観(天動説)に反するものでした。
著作の形式としてラテン語のかわりに母国語イタリア語を用い、論文体でなく対話体を選んだのは、一般の人への啓発を意図したからです。けれども教皇庁により異端と裁決され、68歳の老身は終身禁固、著書は禁書指定となったのでした。
コペルニクス、スピノザ、ガリレオによって地動説の理由付けが確実となったのです。
次に時代は、地球の自転の証明に移っていきます。
慣性の法則(静止しているか、等速直線運動をしている物体は、外力が働かなければいつまでもその状態を続けるという法則)は、ガリレオやデカルトによってほぼ同じ形で提唱されていたものを、ニュートンが基本法則として整理しました。
19世紀には、地球の自転が証明されていきます。その先駆けとなった一つには、慣性力の一種で、物体は垂直よりも東方向に曲がって落ち、北半球では発射物は右に曲がって進むコリオリ力(転向力)が、1828(あるいは1835)年にG・コリオリによって証明されました。【 コリオリ力が一眼でわかる動画 https://www.youtube.com/watch?v=52C4_e-k9BM 】
地球の自転に関する最も有名な実験は、1851年にレオン・フーコーによって初めて行なわれたフーコーの振り子でした。それはパリのパンテオンの頂上から67mの糸に質量28kgの鉄の球を吊るして行なわれました。

天文学者カミーユ・フラマリオンは、1892年には、『火星とその居住可能性の諸条件』を出版しています。彼はその中で、詳細な分析と観測に基づき、火星にはカナリ(人工的な運河)と海があり、火星人が住んでいるとしました。火星には地球人よりも優れた種族が生存しているという仮説を立てて示したのです。またほかに太陽系について研究し、太陽の黒点は、活動が活発化すると出現するということも示しました。

フラマリオンの話が続きますが、彼は主に穴を掘るという現実的な問題に取り組んでいました。地球を貫通して対蹠地に穴を開けるという理論的な問題も考えていました。この問題が2世紀にはプルタルコスによって議論されていたこと、18世紀のモーペルテュイやヴォルテールが議論していたことも指摘しています。また、ダンテの『インフェルノ』では、ルシファーは地球の中心に鎖でつながれていたといいました。

このように「地球内部トンネル」は、知識人の間でも大問題だったのです。
ちなみにストランド・マガジンはイギリスの家族向け月刊誌で、コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズが掲載された雑誌として有名でした。
「地球の中心を通る穴」の問題は、キャロルに大きな関心を抱かせ続けました。キャロル存命中に出版された最後の小説『シルヴィーとブルーノ・完結篇』第7章にも伺うことができます。そこには引力だけで走る汽車の愉快な話が出てきて、町から町へ完全にまっすぐなトンネル軌道が走っていました。
フランク・ボームの『オズの魔法使い』は『不思議の国のアリス』の影響を受けた作品とされていますが、彼は『オズの不思議な地下世界』も書きました。
大人も子供も不思議の国へ行く地下世界、トンネルに魅了された時代だったのです。
「地球の真ん中を突き抜けて落ちてったら、どうなの!頭を下にして歩く人たちの中に着いちゃうなんて面白そうっ!対敵人、って言ったかな ー 」
アリスはもちろん、「対蹠(たいせき)人」と言おうとしたのでした。地球の真裏の場所を「対蹠地」、住人を「対蹠人」と呼びますが、足の裏(蹠)の向きがこちらと逆、という意味です。この先、アリスと出会うキャラのほとんどが彼女に共感を示さないだろうと予示する「対敵人」は言い間違いとしても巧いとするうがった説もあるそうです。
☆第二問
どうして「ワンダーランド(不思議の国)」と記したのでしょうか?
ワンダーとは、どこからきているのか?
☆その答え、は次回 お楽しみに!