ダリの眼が見たもの ー 「奇蹟の宝石展」

ダリ、好きですか?

特別な思い入れがあるわけではないのですが、34年前のちょうど今(3月8日~20日)開催されていた展覧会が、印象に強く残っていて忘れられないでいます。「奇蹟のダリ宝石展」。深遠な異次元へ誘われるような、それがどこなのか、怖いような不思議な時空感覚がありました。しかし美しかった。それはシュールだから、ということだったのでしょうか。

目次

ダリ「時間の眼」
「時計の眼」1949年 人は自身の時間から逃れることも、時間を変えることもできない。

 ダリの私的な略歴

あなたは、短編映画「アンダルシアの犬」は観ましたか?冒頭で、女性の眼球を剃刀で切るシーンはあまりに有名です。映画監督のルイス・ブニュエルとダリが共同で制作した作品でした。二人がそれぞれ見た夢の断片をつなぎ合わせた内容で、犬はどこにも出てきません。

「アンダルシアの犬」とはガルシア・ロルカを揶揄してつけたようです。ロルカとダリは情熱的な関係を築いていたので、ロルカの落胆は隠せませんでした。

わたしはブニュエルの映画が大好きです。「ブルジョワジーの密かな愉しみ」「自由の幻想」はすこぶるお気に入りで、フェーバリット・ベスト10に入ります。ブニュエルはスペインのアラゴン地方の地主の家に生まれました。

一方のロルカもいくつもの農場や農地を所有する経済的地位のある家庭に生まれました。国民的詩人で劇作家です。わたしは彼の戯曲『5年経ったら』を演じたことがあります。あまりにも素晴らしく、生涯忘れることのできない作品です。ロルカはリベラルな作品と言動のため、スペイン内戦の際に銃殺され38歳で亡くなりました。グラナダ空港は、彼の名を冠したフェデリコ・ガルシア・ロルカ・グラナダ=ハエン空港が正式名称です。

サルバドール・ダリ(初代ダリ・デ・プブル侯爵)はスペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで1904年に、弁護士で公証人の父と、一族をユダヤ系の血筋と信じている裕福な商家出身の母の元に生まれました。

ダリには、サルバドールという名の兄がいましたが、天才でスキャンダラスな画家が生まれる9ヵ月前に病で亡くなっています。両親は2歳を待たずして亡くなった兄の名、サルバドールと同じ名をダリに付けました。そしてダリを兄の墓に連れて行き、お前は兄の生まれ変わりなのだと言ったのです。この日からダリは、自分は兄の複製だという不安を抱くようになります。

16歳のとき、母親が子宮癌で亡くなりました。母を崇拝していた彼にとってその死は、彼の言葉を借りれば「人生で受けた最強の打撃」でした。死後、ダリの父は亡くなった妻の妹と再婚しました。この事実をダリは決して承認しませんでした。

17歳のダリは、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学しブニュエルと出会い、同じ頃にロルカとも知り合って親交を深めていったのです。

ダリ
左:ガラと / 左下:マン・レイと 驚きの一瞥はこれが始まり? / 中:「アンダルシアの犬」 / 右:ロルカと

25歳の夏には、ルネ・マグリット夫妻、ルイス・ブニュエル、詩人のポール・エリュアールが妻ガラを伴って、かねてからの約束通りカダケスのダリを訪ねました。ダリは父の別荘で制作に熱中していたのです。詩人で美術評論家の故・岡田隆彦氏によれば、このときダリは、真珠のイヤリングをつけ、ゼラニウムの花を髪に飾り、上質のシャツを切り裂き、剃刀で身体中を血だらけにして、山羊の糞や魚膠で溶いた香料をつけて現れたといいます。

狂気を秘めた奇才ダリにとってガラの出現は天啓に似た事件となり、10歳年上のガラとダリは互いに強く惹かれ合いました。ガラは娘を捨てて、ダリのもとに走り、ふたりは結婚しました。このことで父親は以後、一切の援助を断ちましたが、ダリはガラに母を重ねていたのも事実で、ダリにとってガラは最初の女性だったのかもしれません。ダリは幼い日に、父から教育のために梅毒の写真を見せられたことで、性に対する恐怖をつのらせていました。ガラと出会うまで性的不全だったといわれています。

ロシアの知識人の家庭に生まれたガラはダリのミューズとなり、支配者となり、プロデューサーでマネージャとなりました。

彼女はダリにとって最大のインスピレーションの源でした。ダリは「わたしを狂気と早期の死から救ったのは彼女だけだ」と言っています。ダリは天才であると同時に、不安定で迷惑なまとまりのない男でもあったのです。

二人が結婚してからも、ガラは何人もの男性と関係を持ちました。彼女は多くの若い芸術家のパトロンになりました。しかしダリは奔放なガラに決して反対しませんでした。それはカンダウリズムへの倒錯だったのかもしれません。そのダリにも晩年、性別を超えたアマンダ・リアという、もう一人のミューズの存在がありました。

自分と同じものを再生する性への欲求が生命には備わっています。これは食欲に次ぐ欲望ですが、厄介なものでもあります。

ダリは生涯ガラを熱望しました。

 ダリ宝石展・作品

メトロポリタン美術館学芸員だったA・ハイアット・メイアー氏は、宝石と貴金属とは、ホメロスが書きのこしているところによれば、金貸しが新築したカクテル・バーの装飾に使ったのが最古の記録のようだといいます。

ダリ「ルビーの唇」
「ルビーの唇」 3x5x1cm  1949年

18金に埋められた196個のルビー

あらゆる時代に あらゆる国の詩人たちが ルビーのような紅い唇と真珠のように白い輝く歯を謳いあげてきました。 この永遠の常套句はダリの登場をもって 真にシュールレアリスム的なオブジェへと変容した DARI

ダリ「キリストの光彩」
「キリストの光彩」 14.5×10.5×1.5cm 1953年

ダリは戦後、シュールレアリスム運動から遠ざかり、熱心なカトリック教徒になりました。十字架からダイアモンドが噴出してそれを粉砕し、ルビーの血が流れます。作品は、いかなる邪悪もキリストの力には逆らい難いという確信を表しています。

ダリ「イルカと人魚」
イルカと人魚 36x50x32cm 1969年

水晶の台座にはさまざまな色合いの5700カラットのアクアマリンを散りばめています。

永遠の若さの泉。イルカは人間の次に知的とされる哺乳類。人形とともにキリスト紀元1965年の今年 酸素の科学的、生物学的勝利をもたらし 珊瑚血の触媒 DALI

ダリ「王家の心臓」
「王家の心臓」13.5×8.5x3cm 1953年

24金の中央のルビーは、電気仕かけで鼓動します。この動く芸術的オブジェの最初のものは、エリザベス女王二世の戴冠式の栄光のために造られました。

鼓動するルビーは人民のためにその心臓が正確に鼓動をつづける女王を再現する 純金の心臓は当事者を囲み守る人民の象徴 DALI

ダリ「爆発」
「爆発」13.5x13x11.5cm 1959年

ダイアモンドとルビーとラピスラズリが大地と精神の根源を意味する蛍石から爆発し 探究者にとっては、極めてありがたいこと ー 衰微と死のアンチテーゼ。光輝と生命の象徴 DALI

ダリ「金の立方体の十字架」
「金の立方体の十字架」 14×9.5×1.5cm 1959年

立方体の金塊でできた十字架からダイアモンドの光が四方に広がる 「キリストの受難」を象徴する DALI

ダリ「夜の蜘蛛」
「夜の蜘蛛」 17x42x28cm 1962年

18金、エメラルド、ダイアモンド、ルビー、クンツァイト(200カラット) 台座は水晶。希望と幸運の象徴。 DALI

ダリ「生きている花」
「生きている花」46x25x19cm 1959年

52.79カラットのダイアモンド、18金、プラチナ、ザイール産の孔雀石。掌の形をした花は常に天を仰ぎ「光」を求めて伸びています。孔雀石は、秘められた未知の力をあらわし、金とダイアモンドの花は、美と創造性をあらわします。

ダリ「ダフネ」
「ダフネ」 40x37x7cm 1967年

中央のうすい黄緑色のトパーズは4000カラット。この種のトパーズで現存する唯一のもの。18金に散りばめられたエメラルドとダイアモンドがこれを取り巻きます。ビルマ産の真珠は24x20mm。作品自体は1千万年前くらいに棲息した大王ヤシの化石の台にのっています。木の細胞は完全に硬質のシリカに変化しています。それは、木に変えられたダフネの神話に似つかわしい。

ダリ「天使の十字架」
「天使の十字架」 60x26x9cm 1960年

中の像は純金の彫刻。ダリが油彩で、幻の画材といわれる琥珀樹液リキッドアンバーを施しました。アフリカ産硫酸亜鉛結晶の台座にはダイアモンドで覆われたプラチナの棘が突き出しています。各々の棘は、下に隠された電動モーターで個別のリズムで動きます。金の十字架はラピスラズリの球の上に立っています。重さ853グラムのこの球はロシア産で、約30センチ立法のラピスラズリの原石から磨き出されました。珊瑚はキリストの血。左側の傷一つないトパーズはブラジル産で、1687カラット。

聖櫃の門、あるいは天国の門の象徴としてきらめく。DALI

ダリ「堕天使」
「堕天使」36x34x9cm 1963年

18金の彫金にダイアモンド、ルビーが散りばめられ、メキシコ産の白い石英の台にのります。ベツレヘムの星を表す約90カラットのサファイアのまわりには、17本のダイアモンドに覆われたプラチナの光条がさしています。天使の頭上にルビーの王冠。合計30カラットのダイアモンド、10カラットのルビー。

天使が堕ちるとき、サファイアの星が生まれる DALI

ダリ「宇宙象」
「宇宙象」63x34x17cm 1961年

18金の彫金で、エメラルド、カナリーダイアモンド、ルビーが散りばめられています。象に乗ったアクアマリンのオベリスクは、約5000カラット。柔らかい時計の結晶はトパーズ。エメラルドの原石の台に支えられています。

天空に向かって空中高く上昇しつつ 脚は宇宙の無重力状態によって 細く引き伸ばされてゆく 宇宙象は 宇宙の青い天空の世界に迫る テクノロジーの進歩を象徴するオベリスクを背負っている。オベリスクの中の人影は「惑星空間の予言者」であり「溶けた時計」は時の流動性を象徴する。並外れた抵抗力をもつ極めて適応性のある象は 金星と月との探索に成功した暁には 必ず人間と友達になれると思う そこでこの大変な重量の地球的動物は はるか遠い地球上の人類の利益のために 生物学的実験に利用されるだろう ー これはダリの予言 DALI

宝石の出展は、37点ありました。そのうちの14点を掲載しました。

ダリは1949年、最初のシュールレアリスティックな宝石彫刻を設計して、ニューヨークのカーロス・アレマニーに委嘱し、一群の作品を作らせました。これも愛妻ガラへの愛の表現のひとつでした。

「奇蹟のダリ宝石展」において、詩人で美術評論家の岡田隆彦氏は「神話化されたダリの宝石」と題して寄稿し、末尾に次のように記しました。

「 ー 世俗的にきわめて高価であるがゆえに物質的であるといっていい宝石を使って、なお物質を超過して精神の高みと透明さにたどりつこうとするダリの、いや芸術家の誰しもが求める想念が華麗にあらわされているといえよう。」

それでは、時計がぐにゃりと引き伸ばされたダリの代表的な絵画、「記憶の固執」を宝石彫刻で表現した作品を見て、終わりたいと思います。

 「記憶の固執」

ダリ「記憶の固執」
記憶の固執 8.5×6.5x2cm 1949年

時間が10年で時間と空間が分かちがたいことを物資化した。時間は固定した物ではない。空間と一体であり、流動する。DALI

ダリの作品で最も有名な「記憶の固執」の一部を、宝石彫刻でオブジェ化したものです。

最近の現代物理学では、「この世に根源的な時間は存在しない」という大胆な考察が展開しています。それはそれとして、わたしはダリのこの一つの芸術作品から時間に意識をのぼらせました。

わたしの脳裏に浮かんだのは「光」。ある星が発する光、それは何億光年も前に発せられたもので、その光がこの惑星にいま届いて、それを夜空に見ているというのは自明の理です。一瞬は永遠なのでしょうか。過去は宇宙の彼方に存在することになります・・・。

記憶の固執
「記憶の固執」ニューヨーク近代美術館蔵 24.1×33.0cm 1931年

さて、ちなみに絵画の「記憶の固執」なのですが、中央にはダリの作品に繰り返し現れるモチーフで、自画像と思われるソフトモンスター(『大自慰者 The Great Masturbator』1929年 ソフィア王妃芸術センター蔵 マドリード)が、舌を出して眠っています。

これは「柔らかい時計(montres molles)」は、フランス語の発音が、舌診のときの「舌を見せなさい(montrer sa langue)」を連想させるので、二重の意味を含ませて、柔らかい舌を描いているといわれています。

このモチーフの具体的なイメージは、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の中に見い出せます。

「快楽の園」は三連祭壇画で、左がエデンの園、中央が現生、右側が地獄と理解されています。右の地獄の中に卵人間がいますが、ここから卵というモチーフは、ダリをはじめ、シュールレアリスムの画家たちが盛んに自分の作中に好んで取り入れました。

ダリはこんな言葉をのこしています。「なにも真似したくないと思う者は、なにも生み出さない」。

ヒエロニムス・ボス「快楽の園」
ヒエロニムス・ボス「快楽の園」220×389cm 1490~1510年頃 プラド美術館蔵 黄色の囲み部分がソフトモンスター発想源

ヒエロニムス・ボスはレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ年代の人ですが、レオナルドの『手記』の中に次のような有名な一節があります。「芸術家は、壁の割れ目や、はがれ落ちたところとか、暖炉の灰を眺めていて、戦闘や騒乱の光景を描こうと思いつくことがある」

ダリの「時計が溶ける」イメージは、どこから湧いたのかというと、それはカマンベールチーズだったというのですから、半分、揶揄(からか)われているようにも聞こえます。

ダリは自分自身を揶揄いの対象、ギャグ化して生き抜きました。誇示して見せる態度は失笑をかうものですが、それを結構と開き直っていました。少なくともわたしにはそのように映ります。由来についてはここでは触れませんが、トレードマークの直角に固めた髭で、目を剥く異常な演出をする前のダリは、知性のオーラに包まれたあまりに美し過ぎる青年です。

芸術家とは真理を探究することを生きがいとするばかりか、狂気をはらむ種族です。

青年時代のダリ
ダリの青年時代

芸術家に限らず、人は誰もが内側に少なからず魔を宿していますが、ダリは繊細でナイーブな自己を放棄し、内部に巣食う魔ものと結託して、「天才になるには、天才のふりをすればいい」と語るエンターテイナー「ダリ」を新生させました。

しかし彼の絵画は純粋で、それは天才にしかできない創造でした。それだけに真摯に向かえばよかったのにと思ってしまうけれど、それを望むのは、現実にはとうてい不可能な希望でしかありません。

それが人間という愚かな生きものの本性で、だからこそ愛すべき存在なのかもしれません。

ダリ

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