リアリズムをぶち壊せ

真行寺君枝出演『フエンテ・オベフーナ』

あなたは人生の主役です。観客やレンズの前で演じるだけが演技ではありません。シェイクスピアは「この世は舞台、人はみな役者だ」と『お気に召すまま』に書きましたが、演じ方にもいろいろなテクネーがあります。

この写真は、スペイン古典演劇祭に招聘され海外公演をしたロペ・デ・ベガ作『フエンテ・オベフーナ(Fuenteovejuna)』を前衛に仕立てた一場面です。わたしは名古屋の劇団クセックの客員に志願して、主人公の村娘ラウレンシアを演じました。

商業主義の対局にあるアンダーグラウンドな前衛(アバンギャルド)とは、従来の概念を破って新たな概念を打ち立てることですが、この100年以上続いている権威は、リアリズム(写実主義)です。


目次


スペイン黄金世紀のバロック劇 ー ロペ・デ・ベガ

ベガは16世紀末から活動を開始し、17世紀に入る頃にはスペイン黄金時代の最高の劇作家として認知されて、作品は王家や貴族、庶民に至るまで広く愛されました。

16〜17世紀のスペインの演劇はバロック劇といわれ、エリザベス朝のイギリス演劇と並び「黄金世紀」演劇の最盛期を迎えていました。ベガはこの時代の中心的劇作家です。悲劇・喜劇のルールを無視し、あらゆる階層の心をとらえる一大国民演劇「コメディア」を創造しました。

戯曲は、1日以内の出来事で、1つの場所で起こり、1つの筋の物語を扱わなければならないという決まりが、ルネサンス期のイタリアやフランスにはありました。これはアリストテレス『詩学』の曲解でした。バロック劇は、この古い作劇法を脱して、愛、名誉、信仰をテーマに王侯貴族から万人までを惹きつけ熱狂させた大衆演劇です。

ロペ・デ・ベガと直筆
ロペ・デ・ベガと直筆

アンダーグラウンドな劇団クセックは、30年以上にわたりスペインの戯曲を舞台化し続けてきました。

わたしは幼少時より今日までなによりも関心を寄せてきたのは美術でしたが、クセックのつくり出す「凄みの美」に魅了されて、その門を叩いたのです。クセックの凄みとは何かというと、地を這うような野太い大音声の発声をまずは挙げることができます。醜く崩した表情の奥底から発される歪んだ表現の中に美を見出しうることは、現代アートの特質の一つとなっているので、なんとなくご理解が及ぶかと思いますが、まさにそれが展開されるのです。舞台の袖幕の間から舞台を照射するステージサイドスポット(S . S)による横からの方向性のはっきりした明かりを駆使し、人物や舞台装置を立体的に浮き上がらせるなどの独特な美学に圧倒され、理屈では測れない不条理な異界を創出します。

クセックで学んだ誇張された抽象的な手法は、役者としてのわたしにとって、まさにオアシスでした。なぜかといえば、ドラマティックな見応えとなるさまざまな修羅を身をもって擬似体験するのをリアリスティックに演じるのは、いつまでも平気ではいられなかったからです。

けれどもリアリズムは、あたかも本物さながらの心理描写で訴えるので、どのような手法より、臨場感に抜けおちがないのです。


スタニスラフスキー

今日の演技の王道は、ロシアのスタニスラフスキーの心理的なリアリズムメソッドです。これは映画やテレビでも同様です。特にアメリカにおいては、大袈裟な芝居はご法度です。

しかしドイツの劇作家で革新的な実験的な演出でのぞんだベルトルト・ブレヒト(1898 – 1956年)は、この権威のメソッドを「抹香臭い権威」と呼びました。彼の演劇において俳優は役柄に同化するのではなく、常に距離をとって批判的であることを要求されました。

ブレヒト切手
左:ブレヒトと彼のガリレオの生涯のシーンを描いた旧東ドイツの切手 右:「肝っ玉おっ母とその子どもたち」の記念切手(1973年 東ドイツ)

ステレオタイプを破壊して、対象を異常に見せてきわだたせる異化効果の手法を用いました。異化効果とは、すでに習慣的になっているものの予想外の新鮮な見方です。ある事物からその特性であると一般に認知されている部分を取り除くと認識が失われ未知の異様なものに見えるこの効果は、ロシアの作家で文芸評論家のヴィクトル・シュクロフスキーの発見で、ブレヒトは彼からインスピレーションを受けて多用していったのです。

こうしたエフェクトによって演じ手も観客も芝居に溺れさせず、劇を見ていることを常に意識させる斬新な方法を生み出していきました。これはとてもユニークな特殊な着想ですが、万人に受けるとは限りません。

スタニスラフスキー
コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863〜1938年) 演出家・俳優。モスクワ芸術座を創設。スタニスラフスキー-システムなどの新しい心理的写実主義による演劇理論を展開し、ソ連演劇に革新をもたらした。

リアリズム手法を超えて主流となる技法はいまだ現れません。スタニスラフスキーが提唱した演技理論のその背景には、フロイト心理学の影響があると言われています。

スタニスラフスキーのシステムは「役を生きる芸術」を開拓するもので、これは「形で示す芸術」に対置されます。

役を生きるためには、「他者の生活に自分本来の感情を重ね合わせ、演ずる人物と戯曲全体の内的な生活を舞台の上に作り出す」必要があります。

スタニスラフスキーの演技論においては、内的生活を作り上げることが俳優が第一にすべきことで、感情の途切れない線を持続し、柔軟でセンシティブに対応するためにリラックスした状態で演技ができるように訓練します。

けれども完全に役と同一化することは奨励しませんでした。まったく別の他人になるというのは、病的になりうると考えたからです。彼のシステムは、俳優の個々の創造性と想像力を刺激することの両方の手段を開発するものでした。


グループシアター

グループシアター
グループシアター 左:メンバーと一緒のサンフォード・マイズナー(後列中央) エリア・カザン(後列右端)1938年 右上:リー・ストラスバーグ 下:ステラ・アドラー

ニューヨークを拠点とした演劇集団のグループシアター(1931〜41年)は、自然主義的で、高度に訓練された芸術を基盤とすることを意図し、リー・ストラスバーグらによって結成されました。彼らは、スタニスラフスキー・システムから導き出された「アメリカの演技技法」となるものの先駆者でした。

代表的な三人の教師による技法にはそれぞれに違いがありました。リー・ストラスバーグは心理的側面に、ステラ・アドラーは社会学的側面に 、サンフォード・マイズナーは行動的側面を重視しました。

アドラーとストラスバーグとの根本的な違いは、俳優の感情の引き出し方にありました。ストラスバーグは常に「感情の記憶」、すなわち五感を使って俳優個人の過去の記憶を引き出す方法の強力な提唱者でした。一方アドラーは、俳優が文章から学び、想像した状況を信じることが出来れば、脚本にある感情が自然に表面化すると考えたのです。

もう少し補足すると、ストラスバーグの方法は、俳優が自分の人生からの経験を思い出すことに重点を置きましたが、アドラーの方法はシーンの「与えられた状況」を想像することによって感情的な経験を刺激するべきであるという考えに基づいています。このアプローチは、「あたかも」の使用を通じて俳優の想像力を刺激しようとします。これは、キャラクターが経験する状況を、より個人的に影響を与える「想像上」のシテュエーションに置き換えます。彼女はのちにステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティングを設立しました。教え子にはマーロン・ブランド、スティーブ・マックイーン、ロバート・デ・ニーロらがいます。

マイズナーの場合は、あくまでも相手があって、その互いの掛け合いによる即興的要素を重視します。相手をよく見て、よく聞いて、その場から生まれる予想しない演技、考えない演技、本能にゆだねて生まれてくる衝動、自然発生的に起こるものに注目しました。彼はのちにネイバフット・プレイハウスを創設しました。彼の生徒にはグレゴリー・ペック、グレース・ケリー、ダイアン・キートンや映画監督のシドニー・ポラックらがいます。

グループシアターは、アメリカの劇場の風景に大きな影響を与えたにもかかわらず、10年の活動期間で終了してしまいました。その要因には差し迫った戦争、ハリウッドでの名声と富の誘惑、資金の不足、対人関係の摩擦が含まれていました。


アクターズ・スタジオ

アクターズスタジオとマリリン・モンロー
看板の前のマリリンモンローとアクターズ・スタジオ(マンハッタン)

名高いアクターズ・スタジオは、1947年、グループシアター出身の三名によって設立されました。その一人は『欲望という名の電車』『エデンの東』の監督エリア・カザン(ギリシャ系アメリカ人)です。

1951年にリー・ストラスバーグ(オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ系アメリカ人)はアクターズ・スタジオに加わりました。スタニスラフスキーに触発されグループシアターで開発された技術はストラスバーグのリーダーシップの下で洗練されました。そして現在メソッドと呼ばれているものは、現代のドラマの永続的な力として浮上していったのです。

著名な生徒には、マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、アル・パチーノ、マリリン・モンロー、ジェーン・フォンダ、ジェームズ・ディーン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、スティーブ・マックイーンの錚々たる俳優を輩出しました。

リアリズムとは写実主義ということなので、真実味を帯びた表現を旨とします。それは本当に意義深いことです。観客はスムーズに演者に自己を投影することが容易になるからです。それは役者にとっても同じです。感情移入がしやすいのです。演者は役に現実感をつくりだすために擬似体験を目指します。

けれどもこの方法は役者の人生を崩壊させる危険が伴います。スタニスラフスキーが指摘したように、他者を自己に投影して類義表現することで、芝居を終えても役柄が自分の人生の一部としていつまでも残り、本当の自分は一体どこにあるのか、混乱をきたすことになるのです。そのため、役に命を持って行かれた役者が、洋の東西を問わずこれまでどれほどいたかしれません。

前衛は、役をいかにデフォルメするかを旨とします。型破りな臭い芝居の上をいく異臭を放ち、虚構ではないあくまでも虚の創造に向かいます。その虚がまるで存在するかのように、観るものを惹きつけて引き込む異界だからこそ、束縛のないインスピレーションを享受できるのです。

さて、あなたはどんな人物(ペルソナ)を日常という中で即興して演じていますか?あなたの脚本はどのような筋書きではじまり、終わるのですか?喜劇ですか悲劇ですか、ポジションは見つかっていますか?どんなメソッドに挑みますか?

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